道州制、大阪都構想は、国家解体に結びつく。
道州制は、国家解体に結びつく。
藤井聡がいってた。
維新や改革の正体という本だった。
一瞬で読みきった。
やっぱり維新の会政策は、日本を経済成長しないようにしてまうものだった。
今の維新の党の江田と、故橋本首相が日本をデフレ不況に落しいれた犯人。
その犯人が、みんなの党から、
維新の党にくらがえしているだけ。
江田と、今度は、ハシモトはハシモトでも橋下とコンビを組んで、時代遅れの
改革や維新という構造改革を唱えている。
日本を経済成長路線に戻さなくては、僕などの無職の人間が死んでいく将来になる
だろう。多くの人を不幸のどん底に落とし入れて這い上がれなくしてしまうのだ。
瓦礫を大阪まで運んでくるというハシシタの罪悪に満ちた政策から維新の会を批判し続けてきたが、やはり小泉竹中路線の構造改革そのものが駄目な政策だったと
再認識しなければならないのではないか。
道州制にしても、都道府県自体なくなれば、故郷がなくなるということになる。
国家解体になるわけである。
大阪市にしても、大阪市が解体されたら、大阪市民のプライドはなくなる。
そして、その力があることで、大阪市民にはかなりのメリットがあったのだ。
それが区に分割されることによって大阪市民は独自のメリットがなくなってしまう。
大阪都構想は、大阪市民にとってプラスには絶対にならない政策である。
大阪市民にとってプラスではないが、大阪府民にとってはプラスになる可能性は
あるだろう。
しかし、大阪市民にとっては、大きな枠組みとしての市がなくなるわけであって、
スケールメリットはなくなるために、割を食わされることになると僕はみる。
僕が大阪市民なら、わざわざ政令指定都市としてのプライドをなくされる
区割りには絶対に反対するだろう。
僕は大阪市民ではないから、どうでもいいといえばそこまでだ。
堺市民はその点、大阪都構想に反対して、政令指定都市として残っている。
堺市民はやはり賢い選択をしていたのである。
道州制は、日本を国家解体までいかせようとする弱体化させようとする策であって、
なんら意味はない。
と僕は思う。
維新の会の政策を追求していけば、この国はズダボロになって、
ひとつの国としてのまとまりもなくなり、
人々がいがみ合うようなアホらしい国に成り下がる。
大阪都構想に関しては、府民として僕は賛成だが、もし大阪市民であったら、
僕は反対に投票するだろう。
そして、道州制に関しても反対の立場である。
日本がその昔、国体を護持できたのも、硫黄島決戦や、沖縄戦で沖縄県民や日本軍が捨石となって最後まで戦ったからだ。
その戦果のおかげで、本土決戦をせずにすんで、日本は国家解体を免れたのだ。
そして、連合国によって分割統治されるような事態も回避することが幸運にもできた。
しかし、道州制にしてしまうと、
日本の中央政府の力がそがれて、道州の力が強くなり、ひとたび戦争にまければ、
分割統治されやすくなるのは目に見ている。
関西州ができれば、大阪以外の県は、権限がなくなり、住民も利便性が悪くなって
なんもいいことはないだろう。
結局大阪都構想も、無駄であるし、道州制というのも無駄である。
本当に国民経済にとって大事なことは、経済成長することである。
経済成長するためには、どうしたいいのかを議論するべきなのだ。
デフレのときに、デフレ政策をするようでは、0成長になるのは当たり前
のハナシであり、デフレのときに、インフレ政策をとり、
インフレが行き過ぎたときに、デフレ政策をとるのが当たり前なのだ。
それが改革を言い訳にして、デフレのときに、デフレ政策をとり続けている。
デフレ今に、デフレ政策をやり続けても無意味なのである。
定期預金している国民の多くは、あぶく銭を手にすることができるようになって、
より豊かな社会をつくることが可能なのだ。
日本はある程度豊かだから経済成長はしなくてもいいというのはアホのいうこと。
そういう奴はかなりいる。
金利も高くなるのは反対という奴がそれだ。
金利は高くなるべきなんですよ。
ということは、やはり、自民党の西田がいうように、公務員給与を引き下げていくことに
反対していたのも理由のないハナシではないということは真実なんだろう。
しかし、ルサンチマンに支配された貧困マジョリティーにこの理屈は理解できまい。
そして、理解したくないから絶対に維新に支持票を入れてしまう。
もし、本当に、そのとおりになったら、大阪市民は割りを食わされて損をするし、
大阪以外の都道府県は地元が潤わなくなり、ますます過疎化が進むということが
予想されることになる。
地元で、仕事をして生きたいという田舎者たちにとっては不幸な将来をつくりだすことになる
のだ。