あの有名人が僕のコメントをお気に入りにしたらしい。

ツイッターってすごいと思った。

有名人とのつながりも普通はあり得ないけど、
ツイッターならあり得るのかなと。

まぁ、橋下にメールしまくってるけど、
全然反応ないわ。

まぁ、返事きてもうっとおしいメールやろけど。


それにしても、週刊朝日の連載、もうやめてしまうのやろか。

これだけ市長が騒いだらそらやめてまうか。

それにしても、人騒がせな市長やな。

部落民ってことも認めないで隠して生きていこうなんて甘くないか。
政治家やったらすべての因縁を受け入れてその上で弱者のためとか
に生きていくべきちゃうのやろか。

ちょうど野中広務さんが、その代表やと思う。
同和出身を公言しながら弱者の目線にたったりできる人や。

そういう人は別に同和出身であることを隠しとおそうなんて甘いことを
考えていない。
そういう人の哀れみを自分が引き受けたうえでそういう人のためになる
政治をしようとしている。
それが本当の政治家の姿だと僕は思うのである。

同じ同和というカーストにあってもまったく対照的な生き方。
そして生き様だと僕は思う。
弁護士という弱者救済もできる身分を得てもなお、同和問題
一切扱わない。という生き方を選んだ人間は結局政治家になっても
そういう人を救済する行動は一切とらない。
むしろそういう社会的弱者の人をこけ下ろすようなことばかりをする。

それが僕が橋下を嫌悪して批判する理由である。

強きものはその強さに応じて優しくなければ、
その強さは単なる醜悪の要素になるのである。

橋下という人間の行動に対して
一市民として言いたいことはこれからも言わせてもらう。

それは将来の日本の政治にとって橋下ほど危険な人物は今のところ
見当たらないからだ。

その点で、今回のノンフィクションジャーナリストの人格分析は
意味のあることなのである。
そして大衆がこの週刊朝日を買い求めたように、この人格分析は
大衆が求めるジャーナリズムの根源であり、差別とかどうとかいう問題ではないのである。

言論の自由表現の自由はそれほど崇高で汚してはならないものだと
法律を学んできた人間としてここで言明させてもらいたい。

PS 週刊朝日の記事はみてません。どこかでおいてたら立ち読みします。